<ちょっと一息>ちょっと癒されるような、写真や小話のコーナー。
先日このホームページの「ちょっと一息」コーナーに掲載しました、法隆寺の獅子狩文錦の記事のアクセス数が多くて、驚いているところです。法律関係の記事よりも獅子狩文錦の記事のほうが圧倒的にアクセス数が多くて、喜んでいいのか、悲しんでいいのか…。
今回も法隆寺関係の話を一つ。
法隆寺には、聖徳太子ゆかりの品々が沢山残されているのですが、その中で私の興味を引いているのは、「蜀江錦」(しょっこうきん/しょっこうにしき)の帯です。中国の蜀(しょく)という国で製造された錦を「蜀江錦」というのですが、飛鳥時代に日本に伝来したものが法隆寺にいくつか残されています。その中に帯があって、「膳妃(かしわでのきさき)の帯です」という説明書きの書かれた箱に入っていたそうです。
その帯は、現在、皇室献上品として、東京国立博物館に所蔵されています。東京国立博物館のホームページで写真を見ることができます。こちらからアクセスできます。
https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=3185
膳妃(かしわでのきさき)というのは、聖徳太子の妃の一人で、正式な名前は、膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)といいます。聖徳太子には、推古天皇の娘や孫、蘇我馬子の娘など、超有力な後ろ盾のあるお妃が他にもいたのですが、聖徳太子は殊の外、身分の低い膳妃を寵愛したそうなのです。聖徳太子が「死後も膳妃と一緒に」と言ったという話も残っています。膳妃は病気の聖徳太子を献身的に看病したのでしょうか、聖徳太子が病気で亡くなる前日に膳妃も亡くなっています。そして、膳妃は、何人もいるお妃の中でただ一人、聖徳太子と一緒に葬られました。
この話を聞いた時、非常に違和感を感じました。「和を以て貴しとなす」など、博愛主義のカタマリのような聖徳太子が、何人もいるお妃の中で、一人のお妃だけを寵愛していた。そして、それが歴史にもバッチリ残っている。「他のお妃様の立場がないじゃない!」と、少し悲しく思ったものです。
聖徳太子は、中国から持ち込まれた貴重な蜀江錦で作られた帯を膳妃にプレゼントをしました。それが、上述の蜀江錦の帯です。膳妃へのプレゼントの実物が1400年後まで存在していて、しかも、重要文化財にまで指定されて博物館に飾られているのですから、その寵愛ぶりは疑いようもありません。
しかし、違和感と同時に、ほっこり温かいものも感じるのです。長い人生の中で、たまたま巡り合った特定の人に強い愛情を感じるという摩訶不思議。そういう対象を見つけることができた聖徳太子の幸せを思うと、私も心温まる思いがするのです。それは、私自身が歳を重ねたせいかも知れません。
私にとって、この蜀江錦の帯は、1400年前に生きた聖徳太子と膳妃の幸せの象徴なのです。
そこで、私は、膳妃にあやかるべく、お揃いの帯を買ってみました。織元は、株式会社龍村美術織物です。そう、獅子狩文錦の記事に登場する「龍村平蔵」さんのご子孫が経営する織物会社です。下がその帯の写真です。聖徳太子と膳妃の幸せを感じとっていただけましたでしょうか。